できるだけ

4年経ちました。

4年も経っていると、あれ以降に私を知ったという人も多いでしょうから、さらっと説明しますが・・・。
私は大学時代は仙台に住んでおり、2011年3月は大学3年の3月。就職活動のまっただ中でした。
その日は、午後からテストセンターを受ける予定で、家にいたわけですが、そこで地震に遭いました。停電もしてこりゃアカンやつや、と思い、その後数日は近所の小学校の体育館で寝泊り。14日に友達のつてで先輩の家に泊まった後、15日に山形・鶴岡・秋田経由で青森の実家に帰りました。
とまあそんな感じです。



で、今回はこれに関連して何の話をするかといいますと。

人助けなんて無理でした!って話です。

友達のつてで、という文言が出てきましたが、その友達は発災数日後には大学の近くにある児童館のようなところでボランティアスタッフとして動いていました。

一方の私は、ぶっちゃけ自分がいかにして安泰に過ごすかということしか考えてませんでした。いくら自分の身、自分の家が無事だったからとはいえ。あんな災害を目の当たりにしたら落ち着いてなどいられません。特に、夜に見た気仙沼の市街地が燃えてた空撮の映像は、気仙沼を訪れたことがあるだけにあまりにも衝撃的過ぎて、今でも怖くて見られません。

だから自分のことで精一杯で、見知らぬ誰かを助けようなんて考えがわいてくることもなく、とにかく自分が生き残ろうとすることに必死でした。

若いからとか、そういうのは関係ないんです。人助けだって結局自分がちゃんと生きていないとできないわけで、自分が生きることが安定していない状態で人助けすることをねじ込んでも、自分が壊れます。

残念ながら私はそこまで強い人間ではありませんでした。

人助けの形はいくらでもあります。ボランティアスタッフという、一目で見てわかりやすい直接的なものばかりが人助けであるとみなされがちで、そうしたものに参加していないと人助けをしていない、と短絡的に持っていってしまう風潮もあるのではないでしょうか。
それだけじゃなくて、例えば旅行して温泉入るなり酒飲むなりすることが、経済的な循環の結果として間接的に人助けになってることもあるでしょうし、そんな大きなお金を使わなくても、街角の募金箱に1円入れるのだって人助けにつながっている行為なわけです。

決して、人助けをしたくないと思っているわけではないのです。
だから、自分に心の余裕ができて、なおかつ、自分に可能な方法でやれば、それでいいと思うんです。

今後もああいった規模の災害が起こる可能性は否定できません。
どうか、私以外にもいるかもしれない、このように強くない人間が、薄情者と言われない世界であってほしいなあと、この日に思います。